■7日目…4月4日(月)…その2
プラハ
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プラハ本駅から市民会館&火薬塔から続く“王の道”を抜けると旧市街広場に出ます。
・Staroměstské náměstí (スタロミェスツケー・ナーミェスティー) 旧市街広場
古都プラハの心臓部とも言える旧市街広場は、9世紀頃から交易地として栄え、市場などが並び教会や商人たちの住居が建てられ、プラハの中心となりました。
現在はゴシック、ルネサンス、バロック・・・時代を隔てた美しい建物、教会や旧市庁舎などの歴史的建造物が広場を囲んでいます。
↓私が歩いてきたツェレトゥナー通り、地図の右(東)から反時計回りに紹介していきます。
・Matka Boží před Týnem (マトゥカ・ボジープシャトゥ・ティーネム) ティーン教会
正式名称は、“ティーン(税関)の前の聖母マリア教会”。
天を突き刺さんばかりの高さ80mの双塔が目を引く教会です。
前身は1100年代にロマネスク様式で建設されましたが、現在の姿は1365年にゴシック様式に改築されたものです。
教会のファサードを遮蔽するように建つクリーム色の建物はティーン学校です。
ティーン教会から左に、石の鐘の家、ゴルツ・キンスキー宮殿と続きます。
・Palác Golz-Kinských (パラーツ・ゴルツ・キンスキーハ) ゴルツ・キンスキー宮殿
ロココと新古典主義の装飾を施した後期バロック様式の優美で華やかな宮殿。ヤン・アルノシュト・ゴルツ伯爵の依頼で1755~1765年に建てられ、ゴルツ伯爵没後の1768年にルドルフ・キンスキー大公の所有になりました。
左右対称のピンク色の建物にはロココ調の漆喰細工で美しく装飾された窓、建物上部にはいくつもの彫像が置かれ、華やかな雰囲気を醸し出しています。
現在は国立美術館の企画展に使用されています。
・Pomník mistra Jana Husa (ポミニーク・ミストゥラ・ヤナ・フーサ) ヤン・フス像
広場のほぼ中央に建つこの像は、ヤン・フス没後500年の1915年に建立されました。
聖職者ヤン・フス(1369~1415)は、ボヘミア生まれの宗教思想家、宗教改革者で、カレル大学の総長も歴任しました。
15世紀にローマ教会の堕落を激しく批判したため、異端者としてドイツのコンスタンツで火あぶりの刑に処せられました。16世紀にドイツのマルティン・ルターによってはじまる宗教改革より約100年前の出来事です。
・kostel svatého Mikuláše (コステル・スヴァーテーホ・ミクラーシェ) 聖ミクラーシュ教会
白亜のファサードと2つの塔が目を引くバロック様式の教会。
1273年にカトリックの修道院施設の一部として、ロマネスク様式の教会が建設され、1350年頃にゴシック様式で建て替えられます。
1649~1669年にかけてルネサンス様式に改築しますが、1689年の大火で半壊、1732~1737年にかけて現在のバロック様式で再建されますが、ほどなくして修道会は廃止され、プラハ市が教会建物を買い取り、穀物と家具の倉庫となりました。
1868年以降は東方正教会に貸し出されます。
第一世界地戦後、カトリック教会に貸し出されますが、1920年にフス派教会成立と共に、同派に貸し出され現在に至ります。
広場の西側には、いくつかの露店が出ていました。
ハムやソーセージのお店のようです。
店頭のグリルでは、棒に刺された大きな肉の塊がぐるぐる回っています。
う~ん・・・香ばしいかほり・・・。( ̄・・ ̄)
・Staroměstská radnice (スタロミェスツカー・ラドゥニツァ) 旧市庁舎
広場を挟んでティーン教会と向かい合う位置に建つ、塔のある建物。
第二次大戦中の1945年5月8日にドイツ軍とプラハ市民蜂起軍との戦いで爆発され、その後再建されました。
旧市庁舎は、1338年に建設され、1355年には皇帝カレル4世より神聖ローマ帝国の首都であると宣言され、国家の役所となります。
1410年には天文時計が設置され、時間も司る建物となります。
その庁舎は、以後、周辺の館を買い取ったり、増改築を繰り返しながら1945年まで市庁舎として機能していました。
・Staroměstský orloj (スタロミェスツキー・オルロイ) 旧市街広場の天文時計
旧市庁舎の塔に設置されている大きな天文時計です。「Pražský orloj (プラツキー・オルロイ) プラハの天文時計」とも呼ばれています。
1410年に時計職人のミクラーシュと、カレル大学の数学教授ヤン・シンデルが製作しました。
当初は機械仕掛けだったため、何度も停止&修繕を繰り返し、1948年に電気仕掛けに改修され、時を刻んでいます。
縦に大きなふたつの円が並んでいます。
・Astronomický ciferník (アストロノミツキィ・ツェファルニーク) 天文図文字盤
上の円は地球を中心に太陽が回る天動説に基づいて製作され、年月日と時間を示しながら一年かけて1周する天文図文字盤です。
・Kalendářní deska (カレンダージニー・デスカ) 暦表
下の円は黄道12宮と農村における四季の作業を描いた暦で、一日にひと目盛り動く暦表で、現在のものは1870年に追加されました。9~21時の毎正時になると、文字盤の上にある窓が開き、死神が鳴らす鐘の音と共にキリストの12使徒が順に現れます。
広場を後にしてカレル通りをヴルタヴァ川に向けて進んでいくと、旧市庁舎のすぐ近くに、なにやら見慣れない装飾の建物が・・・。
この装飾は「スグラフィット装飾」と言って、1550年頃にボヘミア全土に広がった装飾技術だそうです。
この技法は、もともとはイタリアから伝わったもので、2色の色の違う漆喰を二層に重ね塗りしたものを、後で削り取るなどして下の色の漆喰を出して2色の装飾とする技法だそうです。
前方にカレル橋の塔が見えてきたあたりから、雨がポツポツと・・・。
うそぉ~・・・。( ̄ω ̄;)
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