ドイツ~チェコ旅行6日目…4月3日(日)…その3

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■6日目…4月3日(日)…その3



 ヘプ → フランティシュコヴィ・ラーズニェ → ハズロフ → ヘプ → プラハ
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フランティシュコヴィ・ラーズニェの次は、その先のハズロフに向かいます。

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フランティシュコヴィ・ラーズニェの駅で往復切符を購入します。
往復切符は43Kč(約233円)。


Františkovy Lázně (フランティシュコヴィ・ラーズニェ)10:25発 → Hazlov (ハズロフ)10:37着
Os17208(Osobní オソビニー=鈍行列車)

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今度の列車はチェコ国鉄の車両です。
二両編成の気動車で、観光バスのようなカラフルな配色です。

10:25 - Františkovy Lázně (フランティシュコヴィ・ラーズニェ)

 ↓
10:33 - Vojtanov obec (ヴォイタノフ・オベッツ)
 ↓
10:37 - Hazlov (ハズロフ)

二駅、約12分でハズロフに到着です。


 ヘプ → フランティシュコヴィ・ラーズニェ → ハズロフ → ヘプ → プラハ
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↓ハズロフ駅

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駅舎には入れません・・・。


Hazlov ハズロフ 
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チェコの西端の突き出たところ、東西をドイツに挟まれた人口1600人くらいの小さな村です。

ここを訪れる日本人は、いったいどれくらいいるのでしょうか?



到着したのは10:37で、帰りの列車は43分後の11:20発と、2時間34分後の13:11です。

とりあえず城を目指しますが、村の地図の看板もなく、持参した地図も道路くらいしか描かれていない簡単なものだったので、城が見つかりません・・・。

村の中心とおぼしきところに行っても、城らしいものも見つからず・・・。
だいたい城というのは一番目立つところにあるワケで・・・。
たまたまいた村人(40代くらいの男性、多分英語は話せない)に尋ねても、城の存在すら知らないみたいで・・・。

健太郎:「I'm looking for Hrad Hazlov.」(ハズロフ城を探してるんですが。)

村人男性:「Hazlov.」(意訳:ここはハズロフだよ。)

殆ど通じていないみたいで、「Hazlov」という単語だけは分かるようです。

健太郎:「Loomig for・・・Castle、Burg、Hrad・・・.」(探しているのはキャッスル、ブルク、フラド・・・。)

村人男性:「Hrad?」(意訳:城かな?そんなものあったっけ?)

どうもダメみたいで、「とりあえずこの先にビストロがあるから、そこで聞くといいよ。」みたいなことを身ぶり手ぶりなどで教えてくれました。

あまり長居するほど名所もないので、諦めて絵はがきだけ買って次の列車で帰ろうと小さな商店で絵はがきを購入しました。

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お店を出てその左手を見ると、写真で見た塔が・・・。

こんなところにあったの?

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少し高くなったところにありました。



・Hazlov zámek (ハズロフ・ザーメック) ハズロフ城

チェコ語で城は「zámek(ザーメック)とも言い、ハズロフ城の場合は「ザーメック」をあてるようです。

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廃墟の城で、その向こうには聖十字架教会の建物と鐘楼が見えます。
ハズロフ城については、改めて調査する必要がありますが、簡単に調べたところ・・・

1224年の文献にハズロフの集落が言及され、城はその頃にこの地方の領主ベドジフ・ズ・ハズロヴァ(Bedřich z Hazlova)という人物によってロマネスク様式で築城されました。
時代が下るにつれ、要塞化されたり、ゴシック様式やバロック様式で増築されていきました。

城の古い部分は20世紀になって徐々に朽ちていき、修理や再建は費用の問題から進まず、長らく宙に浮いたままでしたが、2010年に村は投資家たちからの援助から部分的な修繕資金の目途がつき、徐々に再建される運びとなりました。



↓正面の入口
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格子扉が進入者を拒んでいます。

↓隙間からカメラを入れて撮影カメラ
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建物の周囲を一周してみます。

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かつて建物内部だったところには木が生えています。クリスマス

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どのくらい廃墟のままの状態だったのでしょうか?

再建する予定はないのでしょうか?


↓裏手、聖十字架教会の建物
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↓廃墟に隣接して白い建物があります。
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こちらの方はフツーに住居として使われているようですが・・・。

廃墟の城を眺め、駅に向かいます。

ハズロフの村の滞在時間はわずか43分

これからヘプに戻り、ペンションをチェックアウトして、ヘプからプラハに向かいます。
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●Hazlov (ハズロフ)11:20発 → Cheb (ヘプ)11:42着
Os17211 (Osobní オソビニー=鈍行列車)

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