ドイツ~チェコ旅行6日目…4月3日(日)…その1

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6日目…4月3日(日)…その1


 ヘプ → フランティシュコヴィ・ラーズニェ → ハズロフ → ヘプ → プラハ
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朝6時頃起きる。
風邪は・・・ノドの痛みは引いたものの、鼻づまりになってきました。(いつものパターン)

ペンション(というより宿泊施設)は朝食付きではないので、キッチンで紅茶を淹れ、持って行ったカップラーメンやお菓子などを食しました。喫茶店

今日はヘプからフランティシュコヴィ・ラーズニェ、ハズロフの町に行き、その後プラハに向かいます。

ヘプ駅でフランティシュコヴィ・ラーズニェまでの往復切符を買います。
往復切符は30Kč(約163円)。

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●Cheb(ヘプ)8:07発→Františkovy Lázně(フランティシュコヴィ・ラーズニェ)8:14着
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これはドイツのフォクトラント鉄道社の車両です。
ドイツからチェコに入り、ヘプを経由して北上し、またドイツに入っていきます。

8:07 - Cheb (ヘプ)
 
8:12 - Františkovy Lázně-Aquaforum (フランティシュコヴィ・ラーズニェ・アクアフォールム)
 ↓

8:14 - Františkovy Lázně (フランティシュコヴィ・ラーズニェ)

7分で到着です。まあ、距離は7kmくらいなんですけどね。(^_^;)


  ヘプ → フランティシュコヴィ・ラーズニェ → ハズロフ → ヘプ → プラハ
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↓駅構内

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駅舎には入ることができました。
温泉保養地ということもあって内部はきれいですが、装飾は殆どなく、なにやら社会主義時代の雰囲気が未だに漂っているような気がします台風
ヘプ駅の構内もそんな雰囲気でした・・・。

↓駅舎

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なにこれ・・・。冷や汗2

またもや外壁はむき出し状態です。
工事中のようですね・・・。
Františkovy Lázně 
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やたら長ったらしい名前ですが、「フランツの温泉」という意味で、フランツとは、神聖ローマ帝国皇帝フランツ二世(のちにオーストリア帝国皇帝フランツ一世)のことです。女帝マリア・テレジアの孫で、マリーアントワネットの甥にあたります。

フランツ二世および一世 (1768~1835)

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在位:神聖ローマ帝国皇帝1792~1806 / オーストリア帝国皇帝1804~1835

同一人物でありながら一世と二世でややこしいですね。
簡単に説明すると・・・
ハプスブルク家の当主は事実上神聖ローマ帝国の皇帝を世襲し、そのほかにハンガリー王、ボヘミア(ベーメン)王、クロアチア王と、地域ごとの称号を受け継いでいました。


フランツ二世は神聖ローマ帝国皇帝でしたが、彼の在位中、ナポレオンが攻めてきました。そして1804年5月18日にナポレオンはフランス皇帝に即位し、神聖ローマ帝国解体を目論みます。


↓解体寸前の神聖ローマ帝国の版図(1806年)

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そうなるとフランツ皇帝は自分に残される地位がオーストリア大公、ハンガリー国王、ボヘミア国王といった一国の「王」の地位しか残らず、ナポレオン(皇帝)より格下になるため、神聖ローマ帝国が解体される前にハプスブルク家のご領地を再編し、「オーストリア帝国」を建国、自分はオーストリア帝国皇帝フランツ一世として即位し、地位の保身を図りました。

↓オーストリア帝国の版図

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こうすれば神聖ローマ帝国がなくなっても、オーストリア帝国の“皇帝”として君臨できます。ナポレオンがフランス皇帝に即位してから約三ヶ月のことでした。
その後1806年に正式に神聖ローマ帝国は解体され、オーストリア帝国皇帝となります。

というワケで、神聖ローマ帝国皇帝としてはフランツ二世(在位1792~1806)、初代オーストリア帝国皇帝としてフランツ一世(在位1804~1835)、
さらにハンガリー国王としてはフェレンツ一世、ボヘミア(ベーメン)王としてはフランティシェク二世と名乗っています。

 

ややこしい・・・。( ̄ω ̄;)


ちなみに人物像は、文化・芸術にあまり興味がなく、市民に悪影響を及ぼすとされる文学作品の多くを発禁処分にするなどしました。治世はメッテルニヒなどの臣下に任せることが多く、皇帝令を乱発し独裁政治に走ることもなく、質素な生活を好みました。

在位は42年の長期に及び、晩年は国民からも親しみを込めて「善き皇帝フランツ」と称されました。



さてさて、このフランティシュコヴィ・ラーズニェは、温泉そのものの歴史はかなり古く、1100年代には源泉が湧き出ていた記録があり、1700年代には湯治場として知られ、ゲーテやベートーヴェンも滞在しました。

1793年、皇帝フランツ二世により温泉療養施設が設立され、本格的な温泉保養地となりました。そして皇帝フランツ二世も、お抱え医師ベルナルト・アードラーと共に何度も湯治に訪れています。

1828年に公共の温泉施設が完成し、ドイツやオーストリアの王侯貴族や芸術家たちが湯治に来るようになりました。


さっそく駅から林を抜けて温泉街へと歩いていきます。

↓野外音楽堂

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↓皇帝フランツ二世の像

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↓メインストリート

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整然とした街並みは建物の色が黄色で統一されています。
この色は「ハプスブルクの黄色」と言われ、黄色は太陽の色として建物に好まれて使われるそうです。

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日本と違って、熱い湯にじっくり浸かるというワケではなく、ここのお湯はそんなに高い温度ではないそうです。
ここの鉱泉は心臓病やリウマチ、婦人病、特に不妊症にひじょ~に効果があるそうです。

若い女性の姿は殆ど見かけませんでしたが・・・。冷や汗

↓湧き出ている温泉水

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容器に触れても、殆ど熱くないです。

日本の温泉のように露天風呂があるワケでもなく、クアハウスのように室内温泉があるという感じでしょうか・・・。

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